第3話|人が変わる瞬間とは何なのか
― 身体の回復だけでは説明できなかった、3つの臨床経験 ―
こんにちは。陰陽整体の渡邊裕之です。
前回は、技術だけでは人を良くすることはできず、本人の意思や目的を確認することの大切さについてお話ししました。
しかし、理学療法士として臨床を続ける中で、私は新たな疑問を持つようになりました。
なぜ、人はある出来事をきっかけに、それまでとは大きく違う行動を取るようになるのでしょうか。
また、身体が良くなることは、必ずしもその人が望む人生につながるのでしょうか。
今回は、私が実際に経験した3つの症例を通して、当時感じていた疑問や、そこから得た気づきについてお話しします。
「本当は、電車の運転手になりたかった」
70代後半の、かつて政治の仕事をされていた男性を担当したことがありました。
初めてリハビリに行ったとき、その方は挨拶の時点から怒っていました。
「お前ごときに、なんでわしが命令されんといけんのんじゃ。お前なんか病院の院長に言ったらクビになるんじゃ」
リハビリに行っても、
「マッサージしろ、今日はやらんでいい」
という状態が続きました。
その方は週3回の透析治療を受けており、日常生活では二人介助が必要で、ほとんど自分では動けない状態でした。
高齢であることに加え、入院前から身体機能が低下していたこともあり、私は退院まで2〜3か月ほどかかるのではないかと考えていました。
しかし、最初の約2週間は、立ち上がる練習などにもなかなか取り組んでもらえませんでした。
活動量が減れば、さらに筋力や身体機能が低下する可能性もあります。
私は、このままで本当に自宅へ帰れるところまで回復するのだろうかと考えていました。
そんなある日、その方が、
「電車を見に行きたい」
と言われました。
私は、車椅子に座って過ごす時間も増えるので、それならいいと思い、一緒に電車を見に行くことにしました。
翌日も、その次の日も、電車を見ながら話をしました。
3日ほど経ったとき、私はふと思い、こう尋ねました。
「電車の運転手になりたかったんですか?」
すると、その方が自分の過去について話し始めました。
「お母ちゃんが怖くてな。あんたは国会議員になれと言われて、無理やり国会議員になった。本当は電車の運転手になりたかった」
私は、それまで知らなかった本人の思いを聞くことになりました。
そして、その話をした翌日から、その方の様子が変わり始めたのです。
ある日、リハビリ室に電話がかかってきたため、迎えに行きました。
私は、また電車を見に行きたいのだろうと思っていました。
実際に電車を見に行ったのですが、そのとき、その方がこう言われました。
「よし、家に歩いて帰るけ。先生、バシバシ頼むで」
私は驚きました。
それまで立ち上がる練習や、身体に負荷のかかる運動を嫌がっていた方が、自分から積極的にリハビリに取り組もうとしていたからです。
しかも、その変化は一時的なものではありませんでした。
それまで嫌がっていたリハビリを、今度は楽しみにするようになったのです。
その後も退院まで継続してリハビリに取り組まれ、最終的には歩行器で歩ける状態まで回復しました。
そして、私が当初2〜3か月ほどかかるのではないかと考えていたところ、実際には入院から約1か月少しで退院されたのです。
私が不思議に思ったのは、二つのことでした。
一つは、なぜあれほど拒絶的で、リハビリを嫌がっていた方が、楽しみにするほど積極的になったのか。
もう一つは、最初の約2週間、十分なリハビリができていなかったにもかかわらず、なぜ予想以上の速さで身体機能が回復したのかということです。
特別なカウンセリングをしたわけでも、新しいリハビリ技術を使ったわけでもありません。
電車を見ながら、本人が長年抱えていた思いを聞いただけです。
もちろん、その会話が変化の直接的な原因だったと断定することはできません。
本人の意欲が変わり、リハビリに取り組めるようになったことも、回復に関係していた可能性があります。
それでも、私は考えずにはいられませんでした。
なぜ、人の気持ちはここまで変わり、身体も予想以上に回復することがあるのだろうか。
この経験は、今でも強く印象に残っています。
身体は良くなっているのに、なぜ表情が曇っているのか
その後、理学療法士として働いていた病院で、20代の男性を担当しました。
その方は歩いているときに腰痛があり、それまで整体やトレーニングなど、さまざまなことを試していました。
画像検査では大きな異常を指摘されていなかったと聞いていました。
私は当初、まだ20代という若さで、なぜこれほど身体の不調を気にしているのだろうと不思議に感じていました。
今振り返れば、画像検査で異常が見つからないからといって、本人の痛みや困りごとが小さいとは限りません。
ただ、当時の私は、そのような疑問を持っていたのです。
初回のリハビリでは、仙骨や背中、股関節の位置などを確認しながら施術しました。
すると、歩行時の腰痛が大きく改善しました。
本人は驚き、私のことを「ゴッドハンド」と言っていました。
しかし、私はその言葉を聞いても、単純に喜ぶことはできませんでした。
本当にこれで終わりなのだろうか。
なぜ、これまでいろいろなことを試しても改善しなかった腰痛が、これほど短期間で変わったのだろうか。
そんな疑問があったからです。
2回目のリハビリでは、足首の状態にも着目し、全身の動きとの関係を考えながら施術しました。
すると、さらに身体の状態が変化し、本人は再び驚いていました。
歩いているときに腰痛が出るのであれば、歩行や身体の動きを評価してきた理学療法士としての経験が役立った可能性はあります。
しかし、私はそれだけですべてを説明できるのだろうかと考えていました。
自分の技術が、ほかの施術者より優れているからだと思ったわけではありません。
長期間関わって、深い信頼関係を築いていたわけでもありません。
なぜ、1〜2回の施術で、ここまで大きく変化したのだろうか。
私は、単純にその理由を知りたかったのです。
そして、もう一つ気になることがありました。
身体の状態はかなり良くなっているのに、本人の表情がまだ曇っていたことです。
2回目のリハビリの際にも、本人は、
「だいぶ良くなったけど、まだ痛いんです」
と話していました。
その日、リハビリ後の物理療法の順番が詰まっており、10分ほど待たなければならない時間がありました。
そこで何気なく話をしていると、進路について悩んでいることが分かりました。
今の大学を辞めて、別の大学へ転入するか迷っている。
しかし、まだ親には話していない。
さらに、手続きの締め切りも迫っているということでした。
私は、こう伝えました。
「これは僕個人の意見だけど、後悔するんだったらやった方がいいと思う。今の大学でもう一度やってみるのか、それとも違う大学へ行くのか。まだ親に話していない状態で、親がどういう反応をするかを先に決めるのは早いと思う。一度、自分の今の気持ちを正直に話してみたら」
もちろん、どちらの大学へ進むかを私が決めることはできません。
最終的に決めるのは本人です。
ただ、本人がどうしたいのかを考え、その思いを親に伝えることは大切なのではないかと思いました。
3回目に来られたときには、表情がかなり明るくなっていました。
腰痛もほとんど軽減し、親とも話をして承諾を得て、転入の手続きを進めていると話してくれました。
そして4回目には、手続きも無事に終わっていました。
本人の方から、
「リハビリは、このまま続けた方がいいですか?」と聞かれました。
セルフケアも伝えていたので、私は、
「来たかったら来てもいいけど、自分でやっていけるんじゃないかな。主治医の先生に相談してみて判断してみては?」
と話し、そこでリハビリは終了しました。
私は、進路について話したから腰痛が改善したと言いたいわけではありません。
実際に、腰痛は進路について話す前から改善していました。
ただ、身体の状態が良くなっても、本人の表情は晴れていなかった。
そして、その背景には、進路について誰にも相談できずに悩んでいたという事情があったのです。
私はこの経験から、身体の不調について、もう一つの疑問を持つようになりました。
身体の痛みや違和感には、筋肉や関節などの問題だけでなく、その人が抱えている悩みや生活背景が関係している場合もあるのではないか。
もちろん、この方の腰痛が進路の悩みによって生じていたと断定することはできません。
しかし、身体だけを見ていては、その方が何を抱え、何に悩んでいるのかまでは分からなかったと思います。
身体が良くなることと、その人が抱えている問題が解決することは、必ずしも同じではない。
私は、そう感じるようになりました。
「もう死にたい」と言っていた90代の女性
急性期病院で働いていたときにも、今でも印象に残っている90代の女性がいます。
その方は、動けなくなり、救急搬送されてきました。
本人は、
「もう死にたい」
「あなた来なくていい」
「私は何もしない」
という状態でした。
私は無理に歩かせるのではなく、まずこう伝えました。
「食事のときだけでも、身体を起こして座って食べた方がおいしいですよ」
最初は、食事のときに座るところから始めました。
1週間、2週間と経った頃、本人の方から、
「歩けるかね」
と言われました。
そこで、
「少し立ってみようか」
と、立つところから始めました。
その頃から食事も座って取るようになり、リハビリを拒否することもなくなって、リハビリ室での練習ができるようになりました。
少しずつ動けるようになり、最終的には屋外を30〜40分、杖を使わずに歩けるところまで回復しました。
自宅へ帰るための身体的な準備も整いました。
ソーシャルワーカーとも退院について話を進め、家族の同意も得られていたため、私もこのまま自宅へ帰るものだと思っていました。
しかし、ある日の屋外歩行中、自宅へ帰ってからの生活について話していると、本人の表情が浮かないことに気づきました。
私は、
「自宅へ帰れることが、あまり嬉しくないんですか?」
と聞いてみました。
すると、その方は娘さんについて話してくれました。
娘さんは頻繁に様子を見に来て、生活のことも手伝ってくれる。
そのことはありがたいけれど、心配をかけたり、気を遣わせたりすることが、本人にとっては気兼ねになっていたのです。
本人は、
「一人でひっそりと暮らしたい。誰にも心配されずに過ごしたい」
と話されました。
自宅で生活できる身体の状態ではあっても、施設で暮らす方が、娘さんも自分自身も安心して過ごせるのではないか。
それが、本人の希望でした。
正直に言えば、最初は少し悔しい気持ちもありました。
屋外を30〜40分、杖を使わずに歩けるところまで回復していたからです。
私は、それだけ動けるようになったのだから、自宅へ帰ることが本人にとって幸せなのだと思っていました。
しかし、施設で暮らしたいと話す本人の表情を見て、考えさせられました。
入院当初は、「もう死んでもいい」「何もしない」と話していた方です。
その方が、少しずつ身体を動かすようになり、歩けるようになり、今度は自分がどのように暮らしたいのかを話してくれたのです。
その言葉は、本人が本当に望んでいる生活を表しているのではないかと感じました。
もしかすると、私には見えていない事情や葛藤もあったのかもしれません。
それまでの生活で、どのようなことがあったのか、私には分かりません。
ただ、一つ確かなことがありました。
私が考えていた幸せと、本人が望んでいた幸せは、必ずしも同じではなかったということです。
私は、その方にこう伝えました。
「私はリハビリを通して、動けるようになるための支援はできます。でも、退院後にどこで生活するかを最終的に決めるのは、ご本人ですよ」
ちょうどその頃、退院後の生活について、家族と話し合う機会が予定されていました。
そこで私は、自分が本当に望んでいることを、家族にも伝えてみてはどうかと話しました。
また、ソーシャルワーカーにも、本人が施設での生活を希望していることを共有しました。
まだ家族には伝えていない段階だったため、本人の状況や思いを確認しながら、退院に向けた話し合いを進めてもらえるようお願いしました。
最終的に、その方の退院先は施設となりました。
私は、この経験を通して、改めて考えさせられました。
理学療法士として、身体を動かせるようになるための支援はできます。
しかし、その身体でどのような人生を送りたいのかを決めるのは、本人なのです。
自宅へ帰ることが幸せな方もいれば、施設で暮らすことに安心を感じる方もいる。
専門職として良いと思うことが、必ずしも本人にとっての幸せとは限らない。
この経験は、私自身の価値観を見直すきっかけになりました。
人が変わる理由は、一つではない
今回紹介した3つの症例は、それぞれ違う経験です。
元国会議員の方は、あれほどリハビリを拒絶していたにもかかわらず、ある時期を境に、リハビリを楽しみにするほど積極的になりました。
そして、私が予想していた以上の速さで身体機能が回復しました。
20代の男性は、これまでさまざまなことを試しても改善しなかった腰痛が、短期間で大きく改善しました。
しかし、身体の状態が良くなっても、本人には進路についての悩みが残っていました。
90代の女性は、自宅へ帰れるところまで身体が回復しました。
それでも、本人が望んでいたのは、娘さんに気兼ねすることなく、施設で静かに暮らすことでした。
私は、これらの経験を通して、さまざまな疑問を持つようになりました。
なぜ、人の意欲はこれほど大きく変わることがあるのか。
なぜ、身体が予想以上の速さで改善することがあるのか。
身体の不調と、その人が抱えている悩みや生活背景には、どのような関係があるのか。
そして、身体が回復することと、その人が本当に望む人生を歩むことは、同じなのだろうか。
これらの疑問に、当時の私は明確な答えを持っていませんでした。
ただ、一つ感じていたことがあります。
人の変化は、身体の状態や技術だけでは、十分に理解できないことがある。
だからこそ、私は身体のことだけでなく、心理学、感情、思考、そして生き方やあり方についても、さらに学ぶようになりました。
しかし、患者様の身体や人生について考える一方で、私はあることに気づき始めました。
では、自分自身はどうなのだろうか。
私は患者様の意思や価値観を大切にしようとしていました。
しかし、自分自身のことになると、周囲に合わせすぎたり、他人の責任まで背負ったりして、身体的にも精神的にも疲弊することがありました。
なぜ私は、自分自身のことを後回しにしてしまうのだろうか。
そして、なぜ身体を整えても、不調や疲労を繰り返してしまうのだろうか。
次回は、私自身の経験を通して、自分の特性や生き方を見直し、エネルギーやヒーリングという視点に出会うまでの経緯をお話しします。
今日のミニワーク|本当はどうしたいのか
今、誰かに言いたいけれど、言えていないことはありませんか。
あるいは、本当はやりたいのに、周囲の反応が気になって行動できていないことはありませんか。
紙でもスマートフォンのメモでも構いません。
次の文章を完成させてみてください。
「本当は、私は〇〇したい」
「本当は、〇〇さんに〇〇と伝えたい」
ここでは、正しいか間違っているかを判断する必要はありません。
「相手を許さなければいけない」
「こんなことを思ってはいけない」
「相手を悪く言ってはいけない」
そのように考える必要もありません。
誰かに見せるものでも、実際に相手へ伝えるものでもありません。
怒っているなら怒っている。
嫌なら嫌。
やりたいことがあるなら、やりたい。
まずは、その思いを自分自身が知ることが大切です。
実際に行動するかどうかは、現実の状況や相手の立場も踏まえて、改めて考えればいいのです。
まずは、自分が本当は何を望んでいるのかを、自分自身が知るところから始めてみてください。
次回予告
第4話|身体を整えても繰り返す不調。その背景にあったもの
― 自分自身を見つめ直し、エネルギーという視点に出会うまで ―
次回は、私自身が繰り返していた不調や疲労、自分の特性について考えるようになった経験、そしてエネルギーやヒーリングに関心を持つようになった経緯をお話しします。
陰陽整体
渡邊裕之


