第5話|「本当の自分」を知るはずの会で、私が見たもの
こんにちは。陰陽整体の渡邊裕之です。
前回は、私自身が身体の不調や疲労を繰り返す中で、自分の考え方や人との関わり方を見直し、エネルギーという視点に出会った経緯をお伝えしました。
今回は、その後に参加した「魂との会話」という会での経験と、会を離れてから私が考えるようになったことについてお話しします。
私が今回お伝えしたいのは、エネルギーや霊的なものを否定することではありません。
「本当の自分を知る」とは、どういうことなのか。
そして、何かを取り除いたり、感情を解放したりするだけで、人は本当に変わっていくのだろうか。
私自身が経験を重ねる中で感じた疑問についてお話しします。
「本当の自分」を知るために参加した会
私がその会に参加したきっかけは、筋膜リリースを学んでいた先生からの紹介でした。
その先生からは約2年間、段階的に筋膜リリースを学んでいました。
また、前回お伝えした名古屋での経験もあり、当時の私は、身体だけでは説明しきれないと感じることについて、自分自身でも確かめてみたいと思っていました。
その会では、ダウジングという道具を使いながら、自分の魂と対話し、「本当の自分」を知ることを目的としていました。
私は、その考え方に関心を持ち、活動に参加するようになりました。
しかし、活動を続ける中で、少しずつ疑問を持つようになりました。
本当の自分を知るのに、なぜ会主の答えを基準にするのか
私が最も疑問に思ったのは、会の目的と実際の活動との違いでした。
「本当の自分を知る」ことが目的であるはずなのに、会主の言葉やダウジングによって得られた答えが、判断の基準になっているように感じたのです。
もちろん、経験のある人から学ぶことには意味があります。
しかし、会主と私たちでは、これまでの経験も価値観も、置かれている環境も違います。
それなのに、なぜ会主の考え方に自分を合わせる必要があるのでしょうか。
私は、こうした疑問を会の人たちにも伝えたことがあります。
また、会主から勧められた方法を実際に試しても、私自身は思うような結果につながらなかったことがありました。
誰かの方法で一度うまくいったとしても、それが本人の望む結果だったのか、その後も続いているのかは、別の問題です。
私は、そう考えるようになりました。
ただ、これは周囲の人たちだけの話ではありません。
私自身も、ダウジングの答えに頼っていた時期がありました。
例えば、住む場所を決めるときです。
自分の気持ちではあまり住みたいと思わない場所でも、ダウジングで示された答えを優先して選ぼうとしたことがありました。
今振り返ると、自分自身の気持ちや現実の条件よりも、道具から得られた答えを重視していたのだと思います。
本当の自分を知ろうとしていたのに、自分の判断を他のものに委ねていた。
そのことにも、次第に疑問を感じるようになりました。
現実を確認せず、原因を他人や霊的なものに求めることへの疑問
会での活動を続ける中で、私が疑問に思ったことがもう一つありました。
それは、問題が起きたときの向き合い方です。
人間関係などで問題が起きても、現実にどのようなことがあったのかを十分に確認せず、ダウジングによって原因を探ろうとすることがありました。
また、会に早く入った人と後から入った人との上下関係が、判断に影響しているように感じることもありました。
私は、疑問に思いました。
本当の自分を知ることが目的であるなら、まず自分自身の言動や、現実に起きていることを確認する必要があるのではないか。
相手が悪い、霊的な影響があるという説明だけで終わってしまえば、自分自身を見直す機会を失うのではないか。
そう考えていました。
さらに、会主が研修中に話した、ある出来事も印象に残っています。
会主がタクシーを止めた際、タクシーが会主の立っていた場所よりも少し前に停車したそうです。
そのことについて、会主は、
「私が怒ったのではなく、私のそばについている三柱の神が怒った」
という趣旨の話をしました。
その場では驚いている人たちもいました。
しかし、私は特に驚きませんでした。
なぜなら、タクシーが少し前に止まったのであれば、そこまで歩けば済む話だからです。
また、運転手から見えにくい場所に立っていたのかもしれません。
停車する位置には、道路の状況など、さまざまな理由も考えられます。
それなのに、なぜ最初から神が怒ったという説明になるのだろうか。
私は、霊的な存在の有無を否定したかったわけではありません。
霊的な説明をする前に、現実に何が起きたのかを確認することも必要ではないか。
そう感じたのです。
教えられていたことと、実際に確認したことの違い
また、会主が独自に作ったと説明していたものについても、疑問を持つことがありました。
会で教えられていた作法が、別の団体で行われていたものと同じであることを知り、会主が以前その団体に所属していたことも分かりました。
さらに、会主が一から作ったという趣旨で説明していた暦などについても、私は書店で、会が発足する以前から発行されていた同じ内容のものを見つけました。
私は、こうしたことを一つずつ確認していきました。
もちろん、以前からある方法を学び、自分の活動に取り入れること自体が悪いわけではありません。
私自身も、さまざまな先生から技術を学んできました。
ただ、それをどのように説明するかは別の問題だと思います。
また、会主が「必ず身につけなければならない」と教えていた作法についても、疑問を持つ出来事がありました。
あるとき、私は会主自身がその作法を行う場面を、目の前で見る機会がありました。
周囲の人たちは「きれいですね」と評価していました。
しかし、私が見た限りでは、会主が教えていた手順や基本とは異なる動きが一つではなく、複数ありました。
私は、その様子をはっきり確認していました。
そこで疑問に思ったのです。
人には必ず身につけるように教えているのに、なぜ教えている本人が、その通りに実践していないのだろうか。
そして、周囲の人たちは、実際の動きや手順を確認した上で評価しているのだろうか。
私は、誰が行っているかということと、実際に何を行っているかは、分けて考える必要があると感じました。
問題が起きても、改善につながらない話し合い
会の活動で問題が起きたときの話し合いにも、疑問を感じていました。
セミナーや集まりで問題が起きても、何が原因だったのか、次回はどう改善するのかという話より、「誰が悪かったのか」という話が中心になることがありました。
長い時間をかけて話し合っても、具体的な改善策が決まらないこともありました。
私は、問題が起きたのであれば、誰かを責めるだけではなく、次に同じことを繰り返さないために何ができるのかを考える必要があると思っていました。
また、役員や担当者から協力を求められて手伝ったにもかかわらず、自分が担当になったときには、同じような協力が得られない経験もありました。
後に、会を離れた方などと話す機会があり、以前から似たようなことが繰り返されていたという話も聞きました。
こうした経験から、私は疑問を持つようになりました。
自分自身を見つめ直すことが大切だと教えているのに、なぜ実際に起きた問題については、自分たちの行動を振り返り、改善しようとしないのだろうか。
技術を学ぶことと、すべてを信じることは違う
私は、こうした疑問について、会を紹介してくれた筋膜リリースの先生にも相談しました。
しかし、私が知りたかった具体的な理由や判断の根拠については、納得できる説明が得られないこともありました。
「もっと学ばなければ分からない」という趣旨の話を聞くこともありました。
もちろん、学びを深めることで理解できることはあります。
ただ、現実に起きている問題について質問しているのに、学びが足りないという説明だけで終わってよいのだろうか。
私は、そう感じていました。
その後、先生自身も会を離れました。
その理由として、会の活動が暗いことや、自分自身を持てていない人が多いことなどを話していました。
しかし、会を離れた後も、先生はそこで学んだ道具や判断方法を使っていました。
もちろん、会を離れたからといって、そこで学んだことをすべて捨てる必要はありません。
ただ、私は疑問に思いました。
他人が自分自身を持てていないと話す一方で、自分自身は何を基準に判断しているのだろうか。
私は、誰かの方法を使うこと自体ではなく、その答えをどのように確かめているのかが大切だと考えるようになりました。
また、その先生から学んだ筋膜リリースの技術についても、疑問を持つことがありました。
私は約2年間、段階的に筋膜リリースを学び、コース修了後も個別のブラッシュアップ指導を受けていました。
学んだ技術には、実際の臨床で役立ったものもありました。
しかし、実際の施術や指導の中で、疑問を持つことがありました。
例えば、施術の圧のかけ方です。
私が教わっていたのは、施術者が無理に力を加えるのではなく、相手の身体の状態や反応を確認しながら、組織の状態に合わせて圧を調整していく方法でした。
ところが、個別指導の際、まだ組織が沈んでいく途中で、相手にも強い痛みがない状態にもかかわらず、圧を弱めるよう指導されたことがありました。
私は、以前教わった内容との違いについて質問しました。
しかし、返ってきたのは、力を使わないようにするという趣旨の説明でした。
もちろん、無理な力を加えないことは私も理解していましたし、実際に力任せに押していたわけではありません。
私が知りたかったのは、なぜその状態で圧を弱める必要があるのかという判断の根拠でした。
しかし、その点については、納得できる具体的な説明が得られませんでした。
また、歩行についても疑問を持つことがありました。
ある方は、歩くときにつま先から接地し、身体が前かがみになっていました。
その方には腰痛もありました。
私は、その歩き方が腰痛に関係している可能性もあるのではないかと考えました。
もちろん、歩き方だけで腰痛の原因を決めつけることはできません。
ただ、歩行を評価し、必要に応じて指導することも大切ではないかと思い、先生に質問しました。
すると先生からは、自由に歩いてもらえばよいという趣旨の回答がありました。
しかし、その先生自身も、歩き方が身体の状態に関係することを教えていました。
それならば、なぜ今回は歩き方を確認した上での指導を行わず、自由に歩いてもらうという判断になったのか。
私は、その理由を知りたかったのです。
自由に歩いてもらうこと自体が間違っていると言いたかったわけではありません。
自然な歩行を観察することも、評価の一つだからです。
ただ、その方の歩き方や腰痛を踏まえて、どのように判断しているのかという説明が欲しかったのです。
しかし、ここでも私が知りたかった判断の根拠について、納得できる説明は得られませんでした。
私は、こうした経験から考えるようになりました。
技術を学ぶことと、教えてくれる人の判断をすべて正しいものとして受け入れることは違うのではないか。
目の前の人の状態を確認し、なぜその方法を選ぶのかを考える。
それは、施術を行う立場として大切なことだと感じました。
会を離れ、自分自身で確かめることにした
会での活動を続ける中で、私の疑問は少しずつ大きくなっていきました。
さらに、会を離れた後には、以前その会で働いていた方と直接お会いし、話を聞く機会もありました。
その中では、会の運営や会主の言動について、私が講義で聞いていた説明とは異なる話もありました。
私自身がすべてを直接確認したわけではありません。
しかし、その話を聞いたことも、以前から感じていた疑問について考え直すきっかけになりました。
私は、特別な能力があると語ることと、その人の言動が信頼できることは、必ずしも同じではないと考えるようになりました。
どのような立場の人であっても、その人が何を語っているかだけでなく、実際にどのような行動をしているのかを確認する必要がある。
そして、誰かを信頼することと、その人に自分自身の判断を委ねることは違うのではないか。
そう感じたのです。
私は3年目に会を離れました。
ただし、会を離れたからといって、エネルギーや霊的なものまで否定したわけではありません。
むしろ、分からないことを一つずつ、自分自身で確かめていこうと思ったのです。
感情が解放されても、現実は変わるのか
会を離れた後、私はさまざまな方法を試すようになりました。
潜在意識への働きかけや、過去の記憶を見直す方法。
思考のパターンを書き換えるとされる方法。
感情ワークや過去生療法なども、その一つでした。
当時の私は、自分の内側に残っているものを見直すことで、考え方や思考も変わっていくのではないかと考えていました。
実際に、感情が解放されたように感じたり、頭の中が整理され、思考がクリアになったりする経験もありました。
しかし、それだけで現実の問題が変わるわけではありませんでした。
これは、私自身にも当てはまることでした。
私は以前から、自分と相手との境界線について考え、意識するようになっていました。
それでも、仕事や人間関係の中で、必要以上に他人の責任まで引き受けてしまうことがありました。
自分なりに一生懸命取り組んでいても、結果として疲労や疲弊につながっていたのです。
感情が解放されたように感じることと、現実の中で自分の関わり方が変わることは、必ずしも同じではありません。
私は、そこに疑問を持つようになりました。
感情や潜在意識に働きかけるだけで、本当に現実の問題まで変わるのだろうか。
霊障を払うだけで、本当に解決するのか
一方で、私はエネルギーワークを続ける中で、自分なりに霊障と捉えていたものへの対処も行うようになりました。
そして、霊障への対処に加えて身体を整えることで、その方がより良い状態につながるのではないかと考えました。
さらに、施術を受ける方に簡単な質問をし、ご自身の考え方や現実の状況を振り返っていただくことも取り入れました。
しかし、それでも同じ問題を繰り返す方がいました。
例えば、職場の人間関係に悩んでいた女性です。
その方は、特定の相手から仕事を押し付けられたり、勤務中に厳しく接されたりすることに悩んでいました。
一方で、仕事が終わると、その相手は普通に接したり、優しく接したりすることもあったそうです。
女性は、その相手とはできれば関わりたくないと話していました。
私は、霊障と捉えたものへの対処と身体への施術を行いながら、仕事上の関わり方についても質問しました。
自分が引き受ける仕事と、相手が担う仕事を分けて考えること。
必要以上に相手を恐れず、自分自身の考えや立場を大切にすること。
そうしたことを一緒に確認しました。
しかし、次回来院された際にも、同じ人間関係の悩みが続いていました。
もちろん、職場の状況によっては、本人が行動を変えたくても難しい場合があります。
ただ、私が同じような疑問を感じたのは、この女性だけではありませんでした。
ほかの方との関わりの中でも、霊障への対処と身体の施術を行い、現実の問題について簡単に振り返っていただくだけでは、十分な変化につながらないことがあったのです。
そこで私は、考えるようになりました。
仮に霊障を払うことができたとしても、なぜ同じような問題が繰り返されるのだろうか。
もしかすると、本人が影響を受けやすいと感じる背景には、何か別の要因があるのではないか。
自分と相手との境界線が曖昧になっているのかもしれない。
周囲の人の言葉や感情に引っ張られやすくなっているのかもしれない。
あるいは、自分自身が何を大切にしたいのか、判断の基準が分からなくなっているのかもしれない。
私は、そのような疑問を持つようになりました。
もちろん、同じ問題が繰り返される理由は一つとは限りません。
相手の言動や、本人が置かれている環境も関係します。
だからこそ、霊障と捉えるものへの対処だけで終わるのではなく、その人自身の状態や、現実に起きていることも確認する必要があるのではないか。
そう考えるようになったのです。
「本当の自分を知る」とは、どういうことなのか
振り返ってみると、私はさまざまな方法を学び、実際に試してきました。
筋膜リリースなどの身体への施術。
潜在意識や感情への働きかけ。
エネルギーワークや、霊障と捉えるものへの対処。
それぞれに意味を感じる経験はありました。
しかし、どれか一つの方法ですべてが解決するわけではありませんでした。
また、誰かの言葉や道具によって答えを得たとしても、それが自分自身の本音や、現実に必要な選択と一致しているとは限りません。
私は、次第にこう考えるようになりました。
本当の自分を知るとは、誰かから正解を教えてもらうことではないのではないか。
自分自身に何が起きているのか。
何を感じ、何を考えているのか。
自分は本当はどうしたいのか。
そして、現実の中で何を選び、どのように行動していくのか。
そうしたことを、自分自身で確認していく必要があるのではないか。
ただ、ここで新たな疑問も生まれました。
身体・感情・思考・生き方まで見直しても、なぜ変わらないことがあるのだろうか。
その疑問が、現在の陰陽整体の施術方法を考えるきっかけになっていきました。
今日のミニワーク|自分の判断基準を見直す
今日は、最近自分が決めたことを一つ思い出してみてください。
仕事のことでも、人間関係のことでも構いません。
そして、次の3つを確認してみましょう。
① その選択は、自分自身で考えて決めたことでしょうか。
誰かに勧められたから、周囲がそうしているから、という理由だけで選んでいないでしょうか。
② その判断をするとき、現実に起きていることを確認したでしょうか。
誰かの言葉や印象だけで判断せず、実際の状況や相手とのやり取りを確認できているでしょうか。
③ その選択は、自分が大切にしたいことと一致しているでしょうか。
もし違っていると感じたら、今できることを一つ考えてみてください。
すぐに行動を変える必要はありません。
まずは、自分が何を基準に判断しているのかに気づくことから始めてみましょう。
次回予告|第6話
私は、エネルギーや感情への働きかけ、霊障と捉えるものへの対処など、さまざまな方法を試してきました。
しかし、それでも同じ問題を繰り返す方がいました。
では、何が足りなかったのでしょうか。
次回は、実際の臨床経験を通して、身体・感情・思考・生き方・あり方を見直し、現在の陰陽整体の施術方法にたどり着いた経緯をお伝えします。
第6話|身体を整えるだけでは、たどり着けなかった答え
― 私が現在の陰陽整体にたどり着くまで ―
陰陽整体
渡邊裕之


